NHKで沖縄ブームの立役者となった「ちゅらさん」というドラマがあったが、その中で沖縄と東京を対比して描くエピソードがあった。沖縄から出てきたヒロインの友人が、東京は冷たいところだ、嫌なところだ、沖縄に帰りたいと愚痴る。それに対して東京人の菅野美穂のキャラが激怒していう

「私は、東京生まれの東京育ちなの。私も思うよ。東京って嫌なところがあるって。でもね。東京を嫌な街にしたのは、あんたのような人達よ。東京に暮らしていながら東京を好きになろうとしない。愛そうとしない。どうせいつかは出ていくんだ。それまで我慢してるだけだ。そんな人達ばかりの街が、いい街になるわけがない

…東京に対して失礼よ。そんなに沖縄がいいのなら帰ればいい。帰って東京の悪口言ってればいいでしょ。あそこは、人の住む町じゃないとか何とか言ってりゃいい。でも私は、そうは思わない。ここは人が暮らしてる町だよ」自分はこの脚本を書いた岡田氏は、健全な認識を持っていたと思う。田舎者よ。そういう自分は東京で何をした? 東京のためになにをした? 東京のせいなのか? すべて自分じゃないのか?

共同体を愛していない人間が共同体の一員になるのは不幸なことだ。共同体のためにもならないし、個人のためにもならない。東京だけに限らない。市町村だろうと都道府県だろうと。国だってそうだろう

SuperMTec

うちの相方が先日見ていたBBCの番組で、何か事件だか事故だかの被害者にインタビューしている番組があったのだが、その中でインタビュアーが「わたしの質問がもし不快であるなら、すぐにこのインタビューをやめます」と念を押しながら質問をしていたのが印象的だったと言っていた。さすがにタブロイド紙ですら「容疑者」の段階では敬称をつけて報道する国なだけあるなとは思ったのだが、わたしもアルゼンチンのTV番組である事件の犯人(とされている人物)を「セニョール」と呼び「回答を誘導したり名誉を傷つけるおそれがあるなど、質問が不適切であると思われたらすぐ言ってください、エントレビスタ(インタビュー)はそこで終わらせます」と、聞くアナウンサーを見たことがある。多くの日本人が発展途上国の詰め合わせだと思っているようなラテンアメリカの国の報道ですら、その程度の良識は弁えている。
私の知り合いに、とある経営者がいる。彼は長老派の敬虔なクリスチャンであって、毎年クリスマスにはトラック1台分の衣類を恵まれない子どもたちや施設に贈っている。

彼は絶対に古着は贈らず、問屋に協力してもらって新品だけを贈っている。彼は私にこう言った。

「誰かが衣類を贈ってくれる。ほつれてたり他人の名前がタグに書かれた古着でない。恵まれない子どもたちにも、新品のパッケージを破る気持ち良さ、新しいふわっとした衣類のいい香りを年に1度でもかいでほしい。その体験は、その子たちが、その後の人生をがんばる力添えになるはずだ。古着を与えて惨めな気分にさせるのは間違っている。相手のことを真剣に考えなくてはならない。慈善した気分で満足していてはいけないのです」

私も彼に同意する。


彼が教会の古着チャリティーに参加した経験では、「もうどうしようもないほどボロ、しかもクリーニングにすら出してない」奴を出してくるオバサマが、必ずいるそうだ。

彼女の論理では「困っている人ならこれでも助かるはず」なんだけど、彼は「捨ててください」と突っ返していたそうだ。「自分の子どもに着せたくないような服は贈るべきでない」「寄付はゴミ箱ではありません」と言って。
Reblogged from 米短猫
いまの時代は夢を持っているやつのほうが、
なんの夢もないやつよりよっぽどいいとされてるじゃない。
だって、夢を持っているんだからって。
 
でも、現実は同じなんだよ。
いま何もやっていないことに変わりはない。
それなのに、いまの時代は強制的に夢を
持たせようとし出したから、夢のないやつが
それを社会のせいにして、ナイフで刺しちゃったりするでしょう。
でも、夢なんて持たなくていいんだって
言わなきゃいけないんだと思うよ。
 
下町だったらさ、
いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから(笑い)。
別に、人に誇れるものなんてなくていいんだよね。
ないやつだっているし、ない自由だってあると思うよ
 
北野武

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そうなんだよね。

そうなんだよ。

わたしはよっぽど、毎日を大切に生きている人の方がすごく見える。

Reblogged from .:l..|l./-::./.:
とはいえ最近思うのは
近ごろ耳にするJ-POPの歌詞は
日増しに直接的になっているなということ この現状を世の音楽評論家の皆さんや
音楽業界人の皆さんはこぞって
「わかりやすさの時代」だとか
「共感の時代」と呼んでいるけれど そういう簡単なことではなくて
現場でずっと歌詞を書き続けている
僕の意見としては 今の時代に音楽を聴く人は
音楽を娯楽や趣味ではなく
薬だと思っている人の方が多くて
その効き目を強く求めている時代なんだ
ということではないかなと思います 聴き手が傷心や挫折や失恋や失望や
そういう普段の暮らしで生じた困難に
よりよく「効く」薬を求めている
ということではないかと思うのです でも音楽にお医者さんはいないから
誰かが症状に応じた適切な処方箋を
出してくれる訳ではないので
自分で「薬」を探さなければいけない そうなったとき、どうせお金を払うなら
より強い薬を、効く薬を、となるのが
人の心理というもので、それゆえに
「会いたい」とか「一歩踏み出そう」とか
「自分を信じて」とか「勇気を」とか もはや表現における劇薬というか
とにかく率直で単刀直入でわかりやすくて
身も蓋も侘び寂びもほとんどない
直接的な歌詞が重宝されるように
なってくるのではとすこし思ったのです 音楽はいつの間にか
くさかんむりがついて
音薬になってしまいました
ということなのではないかと ただの風邪だろうが何でもかんでも
すぐにタミフルを飲むような音楽ばかりの時代 でもただの風邪はただの風邪薬で治すのが
本当は心にも体にも健康的なことだと思うし もっと言えばプラシーボで治せたら
一番幸せなことなのかもしれないと思います
そういう「まやかし」みたいな部分も
音楽ならではの魅力のひとつだと
僕は内心で思っているのですがどうでしょう
Reblogged from switch back
欲望に翻弄されてお終いというのが生命の正しい姿。

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2008-05-18 (via gkojay) (via jinakanishi) (via gkojax) 2009-07-20 (via gkojay) (via jinakanishi) (via fukumatsu) (via yaruo)

ああ、まさに。

会社にまさにそういう人がいます。種々の人種が集まる濃すぎる会社だ。

「怒りやいらいらは2次感情」。
「その怒りの奥底には”わたしを認めて、大切にして、肯定して”という柔らかな1次感情がある」。

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これはすごくわかる。

怒りは2つ目の感情でしかないんだな。

怒りの大元は、もっと単純で、素直な心なのだ。

ただ、それをうまく表現できなくて、怒りに変わる。

人間は、本当にもろくて壊れやすいイキモノだ。

Reblogged from .:l..|l./-::./.:

あと、どうも人には、 「目標をばっちり決めて不退転の覚悟で臨んだほうが成果が出せるタイプ」と、 「その場その場でおもしろそうな方向にふらふら進んだ方が成果が出せるタイプ」が あるような気がする。

前者の人は「逃げちゃダメだ」が信条。後者のタイプの人が 「そっちで展望が無いならこういうオプションもあるよ」みたいなアドバイスをすると、 つい「あっちがダメならこっち、みたいな安易な姿勢じゃ通用しないよ」と口を出したくなる。 一方、前者のタイプの人が「そういう甘えを捨てなきゃだめだ」みたいなアドバイスを すると、後者のタイプは「そうやって自分を追い込んでもつらいだけだし、 だいいち目標が何かなんて最初から決められないよなあ」と口を出したくなる。

たぶん、正解は「当事者のタイプ」×「状況」で決まってくるので、 一律に通用するアドバイスはない。前者のタイプの人が後者のアドバイスを 受け入れちゃうとほんとにふらふら逃げてばかりになるだろうし、 後者のタイプの人が前者のアドバイスを受け入れちゃうと 無理がきて心身を壊すかもしれない。

Island Life - 日本とか海外とかいうより (via otsune) (via send) (via tiga) (via yaruo)

わたしはどっちだろうなあ。

ときと場合に寄るよなあ…。

わたし、意外と有言実行タイプなので、やると決めたら何年かけてでもかなえてみせるタイプで、

今までそうなりたいと思ったことは全部かなえてきているのです。

(ただし、どれも、かなえるまでに4、5年くらいかけてるな…)

だから、前者かな。でも、不退転の覚悟っていうよりは、今できることだけやればいいや、

って自分に甘いときもあるから、必ずしもそうじゃないか。

でも、このざっくりしたカテゴリー分けはわかるなあ。

わたしの成功体験が、必ずしもすべての人にあてはまらないように、

輝いて見える人のやり方が、世の中のすべてではない。

だから、わたし、人の生き方には興味があるけど、

生き方論とか、成功論とかの本に興味がないんだナ。

童貞率が高ければ、「消極的」
童貞率が低くければ、「乱れている」
自立すれば、「核家族化で家族力と地域社会の崩壊」
実家にいれば、「パラサイト」
金を稼げば、「守銭奴・強欲・傲慢」
稼げないと、「弱くて情けない若者達」
勉強が出来れば、「最近の子は頭でっかちで中身がない」
勉強が出来ないと、「学力低下。馬鹿だらけ」
結婚すれば、「友達夫婦。おままごと」
未婚だと、「理想が高すぎ。身の程を知れ」
大きな車を買えば、「金遣いが荒い。金銭感覚が狂っている」
軽自動車を買うと、「最近の若者は大きな車を買わない。若者らしくない」
遊んでいると、「享楽的で向上心がない」
遊ばずに大人しくしていると、「暗い。気持ち悪い。覇気が無い」
積極的に会話に参加すると、「馴れ馴れしい。言葉遣いが悪い」
聞き役に徹していると、「最近の若者はコミュニケーション能力が低い」

「テレビ見るな!ネット止めろ!ゲームは悪!新聞読め!新聞読め!新・・・」

コピペ新聞 - どうしろと (via konishiroku) (via yaruo) (via gkojax) (via marutanm) (via send) (via tiga)

いや~、面白いね。

Reblogged from Shiitake's tumblr.